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壺月遠州流禪茶道宗家について

  Kogetsu Ensyu Zen School of Tea Ceremony

 
 
 

 壺月遠州流禪茶道宗家は、簡素を旨とする武家の茶道です。

 

「飾らない、気取らない」禅の原点に帰った茶風を持ち戦国の世に生まれた武士の茶道であるために現代に生きる我々に適合し癒しと生命力を与える茶道です。

 

 先々代家元 本郷潮泉寺 住職 青柳貫孝宗匠は、大正5年(1916)に茶道遠州流 顧問 小宮山宗正師の元で師範免許を取得後、大正の大徳 大僧正渡邊海旭師(号 壺月)の指導を昇華し、壺月遠州流禪茶道宗家を打ち立てました。

 

現在は、各地域社会に対して茶道の芸・技の公開と教授を行っており、禅茶道を伝統芸能として普及発展向上することをとおして、日本の伝統文化の伝承に寄与する活動を展開しています。

 

六字について

 

当流の庵号「六字庵」の六字は「和敬清寂動靜(わけいせいじゃくどうせい)」の六字を意味します。お茶は、ただ飲むだけの遊びではありません。 和・敬・清・寂・動・靜の六字の意義に徹してこそ茶の湯の値打ちがあります。「和」はなごやか(調和-全てがきちんとしている。和悦-和して悦ぶ)、「敬」は敬い合うこと、慈しむ、「清」はこざっぱりした気持ち、「寂」は全てに安定を保つこと(動くものが動かずにいる状態)、「動」はやりぬく気力、「靜」は大いなる内省即ち省みること。茶の湯の道は日常欠かせぬ生活の基である。 茶の湯は、和・敬・清・寂・動・靜の実際を日常に溶けこましむるものであります。 お湯を沸かし、お茶を点て、喫する事によりて余計な色々の事に心を動かさないで素直な気持ちを養う事です。 道具や場所にこだわらぬこと。調度の心得を忘れぬこと。細かい事を勉強すること。美しいかたち・動作・更に気持ちの良い雰囲気を工夫すること。 その人その人の持ち味を、自由な、とらわれない個性的美の完成等は茶の湯にて常に教えるものであります。

壺月遠州流禪茶道宗家について

当流のルーツは千宗易(利休)でありますが、古田織部、小堀遠州、三代将軍徳川家光と武家に伝わる茶道です。
この流れにある遠州流茶道を更に大正の大徳 大僧正渡邊海旭師(号 壺月)、先々代家元 青柳貫孝宗匠が昇華し、先代中村如光(名聞)師が茶道における「禅」を徹底しました。 

  
 渡邊海旭師(正六位勲六等,贈大僧正)は,仏教社会事業の先駆者であり、仏教研究でも功績を残し「欧米の仏教」などを著わしました。また高楠順次郎博士と共に大正新脩大藏經を編纂されました。

海旭師は、ドイツのストラスブルク大学に10年間留学し比較宗教学を学びました。

帰国して浄土宗労働共済会を設立し東京深川で労働者のための安価な宿泊施設を設立するなど社会事業にご尽力されました。国士舘大学や大正大学、淑徳女学校などの創設や経営に関わったり、芝学園中学校校長を務め教育事業にも従事しました。またインド独立運動家ラス・ビハリ・ボースを匿った新宿中村屋の相馬夫妻を助けました。相馬夫妻は師を大事にしました。海旭師の号を「壺月」といいますが、中村屋から壺月羊羹が売られたほどでした。

  先々代宗家青柳貫孝宗匠は、渡邊海旭師の側近の弟子で知恩院の僧正をされたこともありました。

1921年にインドへ渡り ベンゴール・ボルプール市サンチニケータン大学に於いて東洋初のノーベル文学賞受賞者タゴールに茶の湯を教えられました。戦時中にサイパンへ渡り、南洋寺の住職をされ島民の教育にご尽力されました。

青柳宗匠は、島民に日本式の教育を施して相互の融和提携を目指されました。島民と日本人が分け隔てなく等しく教育を受ける場をお作りになろうとされました。当時の南洋庁は島民の教育に前向きではなかったようですが、青柳宗匠は南洋庁の重い腰を上げさせ、サイパン高等女学校の前身であるサイパン家政女学校を設立いたしました。

  先代は、青柳貫孝宗匠の晩年の弟子でした。無宗派の単立寺院、天燈山仏母寺を開基し仕事や人間関係などで悩む人達の相談を受けて導いておりました。

青柳貫孝宗匠は、先代に浄土宗の僧籍にいれることはしませんでした。渡辺師が「一宗一派に固執するようなことがあってはならない」とよく仰っていたということもあったのだと思いますが、型にはまってほしくないという思いがあったようです。先代は仏教全般、特に密教や禅などに精通しておりました。

「茶も禅も行きくところは同じ境界であり、このような意味合いが『茶禅一味』であり『わび』『さび』の茶道であり虚飾を排した簡素な茶が、『禅茶道』の茶風である。」という考えから流派名を「壺月遠州流禪茶道宗家」へとしました。

 

参考文献:南洋と私 寺尾 紗穂 (著) リトル・モア

 
 
 
 

 

壺月遠州流の7つの特徴

 

武家の茶道は、一般に知られている茶道とは全くその趣を異としています。

 

一、 男点前、女点前といったものはありません。男も女も同じ点前を行います。

 

二、 貴人の茶もありません。点前に貴賎はありません。茶室にあっては、殿様も足軽も同じです。 

 

三、 点前をしている最中に於ける茶器の拝見はありません。茶を点てる器にも上下をつけない。また、点前をしているときは、精神を集中して道を求めている修行のときでもありますから、ややもすると、茶器の品定め的となり優越感的な気持ち、虚栄の心が覗いて修行の障害になります。点前の中では行いません。 

 

四、 お茶会に於けるは別として普段の稽古、禅茶道の点前にあってはお茶菓子は食しません。修行中に口に物を入れる所作は精神の統一を阻害するからです。稽古は道を求める修行ですから間が狂うのです。むしろ稽古を終えてからお茶菓子を歓談しながら頂くほうが美味しいものです。

 

五、 正客が茶を頂くときに次客に「お先に…」を述べることはしません。茶を点てた亭主から差し出された茶碗は、礼をしてそのままいただくというのが当流の茶道です。左右の客に、いちいち礼をすることは致しません。

 

六、 お茶を「もう一服いかがでしょうか」とたずねられたら社交辞令ではありませんから望みなら、もう一服所望してよいのです。禅茶道にあっては、薄茶点前本位です。ですから、三度で頂くことになっています。また、数人で一つの茶碗を回し飲むことは致しません。これは当流儀の大きな特徴です。

 

七、 お点前の中で茶巾で茶碗の回りを拭くということをしません。茶碗の中を茶巾にて、ひらがなの『ゆ』の字に拭だけです。『茶巾捌き』をするのも当流儀の特徴かもしれません。

 
 
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